[Eureka seveN]
  1. 製作委員会が展開するメディアミックスプロジェクトの総称。または各作品の通称のひとつ。本キーワードで記述。
  2. 第7次E懸案神話再生計画の通称。
  3. 人類に甚大な被害を与えている「7番目のエウレカ」の通称。→エウレカ#7

概要

2005年から下記の製作委員会によって中期的に展開されているプロジェクトのこと。
Project EUREKA
エウレカセブン the GAME」『交響詩篇エウレカセブン』シリーズ
Project EUREKA MOVIE
交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション
Project EUREKA AO
エウレカセブンAO』シリーズ

エウレカとセブン

キーキャラクターの名前をロボットアニメのタイトルに冠することで、メカと人物の関係性を重視していると示したい意向*1から、企画当初ヒロインの名として検討されていた〈ユリイカ〉がまずタイトル候補に挙がり、語感が〈いか〉と同じで好ましくないなどの事情でギリシア語読みの〈エウレカ〉に転じた*2。読み替えの発案は河森正治による。

「遠い海から来たエウレカ」が仮題として挙がりつつも、「エウレカ」単体での商標登録の難しさから〈セブン〉が付けられた。その由来はテレビアニメ放送が朝7時枠に決定したからという『ウルトラセブン』などと同様の理由である*3

後付けの由来として、インド・ヨーガ理念にみられる七つのチャクラを基にした設定「エウレカの体内にある7つのコンパク・ドライヴ」からの命名であるとしている*4。作中では「セブンスウェル?」という語があるが、こちらは放送枠決定前から決定していたらしく、虹の色数(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の〈7色〉)が由来。バンダイビジュアル特設サイトの用語解説ではこれをエウレカセブンの「セブン」の由来としていた。

表記

「エウレカセブン」シリーズをさらに略する語として〈エウレカ〉が一般的に用いられている。

英語表記はFN社の自動拳銃Five-seveNと同様に、〈-Seven〉の部分を〈-seveN〉として表す傾向が最初の『交響詩篇』シリーズに対して多くみられる。デザインや執筆担当者によってスクリプトの表記は様々で、『AO』発表後は〈EUREKA SEVEN〉のように全大文字のスクリプトで表すことが増えつつある。

欧米圏やウェブサイトのHTMLソースのようなところでは〈eureka7〉と略すケースもある。

作風

以下独自研究が含まれる解説。

シミュレーショニズム

過去の作品を再利用するサンプリング、一連の流れを持つものを解体しランダムにつなぎ合わせて新しいものを作るカットアップ、アレンジや再構成をして元と異なったバージョンを作るリミックス、いずれも1970年代に確立したとされる音楽・表現技法である。これらを経て80年代になるとアシッド・ハウスが中心となった音楽ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が起きることになるが、『交響詩篇』はそのムーブメントの再現を1993年の文化体験に重ねつつアニメで目指したものだったと京田・佐藤両氏は表明している。

再現を目指した結果『エウレカセブン』という作品群は、劇中でアシッド・ハウスやロックが流れ、音楽やスポーツといった既存の用語が作品用語に転用され、過去の他作品のみならず『エウレカセブン』の旧シリーズをも模倣し素材として組み込んでいく、サンプリング/カットアップ/リミックスを包括し体現する〈シミュレーショニズム〉の作風になっている。
作品の模倣性については制作スケジュールの効率化、あるいは「思いつくことはだいたいやりつくされてオリジナルは存在しない」「開き直って好きなもので作ろう」という動機が表明されているのであるが、それもまた前衛表現であらゆる様式と実験をやりつくされてシミュレーショニズムへと至る音楽と表現の状況に相似している。

作中においてもオリジナルの存在に対して、人間ではない者、英雄ではない者、特別ではない者、自他がイメージしている通りではない者などが、「まがい物」という言葉や「イマージュ(想像)」「トゥルース(真実)」などのネーミングで強調され多く扱われている。

なお『交響詩篇』制作当時には意欲的にネーミングの転用を試みていたが、その後の『ハイエボ』などではエウレカセブンらしさを出す目的、作品のカラーを維持するためのサービス的にネーミングを行っていると京田は述べている。

ハッピーエンド後の幸福論

人生は続いていくものであるからハッピーエンド後の問題、ボーイ・ミーツ・ガールについては恋愛が成就した後の問題も描くべきではないかと述べている*5

アメリカン・ニューシネマ的であり、2010年代にはメリーバッドエンドと称されている形態に近いが、シリーズに共通して登場人物は客観的には解決されていない大きな問題を抱えつつも、主観的なハッピーエンドを獲得する傾向がみられる。これは『交響詩篇』第25話「ワールズ・エンド・ガーデン」でウィリアムによって語られる幸福論が端的である。

ロボットアニメ

1970年代からブームを興しているジャンルであるが、2000年代を迎えるころには別ジャンルの興隆や商業モデルの変化などの遠因により衰退を見せ始める。京田も『交響詩篇』が4クール枠となった際に、1990年代の勇者シリーズ終了以降4クールのロボットアニメが減少していることが意識に上ったと述懐している*6

庵野秀明はこうした状況下で制作された『交響詩篇』に対して「手描きロボアニメ最後の砦」といった旨の発言(ソース失念)を寄せていたのだが、実際2010年代になると手間のかかるメカ作画を3DCGで代替するアニメがほとんどとなり、有名シリーズでも『ガンダム』の一部しか手描きを続けているシリーズがない状況になった。『AO』『ハイエボ』では、作品とともに減少しているメカアニメーターの活躍の場を設けたい、手描きロボ作画の伝承を動機に挙げて制作に臨んでいる。

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